煌羅カンナ 日々のつぶやき

お金には2種類のものがあるというお話。

 

モダンミステリースクールの形而上学では、書ききれないくらいの本物の知識を教わり、エネルギーを学び、奇跡とマジックを起こせるようになり、

 

人生というミステリーに深く入っていくことになります。

 

そこで、とにかく何よりも、自分を含めて、世の中の人がいかに「お金に毒されているか」を感じることになります。

 

私も長らく「お金教」の熱烈信者だったので、お金がなければ何もできないと信じてました。

 

違うんですよ。お金は道具であって、目的じゃない。

 

お金を使って何をするかが大事なんです。例えばものが欲しいとか旅行に行きたいとか、そんな程度ではお金はやってこない。

 

そこにPATH(道)があるからこそ、天界がお金という「道具」を与えてくれるのだ、ということがやっと分かりました。

 

道具を使ってPATHを進めるようにしてくれるんですね。

 

ちなみにPATHとは、

 

自分が喜びに満ちた人生を送ることと、他人が喜びに満ちた人生を送るように手助けすること。

 

 

本当にこれに尽きるんですね。

 

この「喜び」というのが曲者で、自分の虚栄心とかエゴを満たすものは喜びではないんです。

 

私は高い給料をもらうことを目指して30歳の時に外資系車会社に転職したんですね。かなりお給料は良かった。でも仕事はつまらなかった。

 

そうするとどうなるか。つまらない毎日への言い訳として、高いお給料でブランド物を買ったり海外旅行をしたりするんです。その時は一瞬だけ「喜び」があります。でも会社で過ごす時間は退屈なんですね。

 

こういう種類のお金のことを「世間福」と呼びます。ただ生活するためだけのお金、捨て金です。だから世間福はいくらたくさん稼いでも使って無くなってしまいます。

 

 

一方、PATHを進むために「奉仕」をして得るお金のことを「出世間福」と呼びます。こちらは「善」のエネルギーで出来たお金なので、無尽蔵です。お金の方が私に感謝して、どんどん増えます。尽きることがない。

 

さて、私はこのお金のエネルギーの違いを知った時に本当に驚愕したし、ひっくり返るくらいの衝撃を受けました。それで、少しづつ出世間福のお金を作れるように努力したんですね。

 

そう、何事も、努力が必要です。当たり前ですよね。「たった一日でお金持ちになれる」とか「10分で人生が変わる」ことはありえないんです。自分を変えないまま裕福になれることはないんですよ。

 

「善」のエネルルギーに変わればそれは永久に続きます。そこがすごいところ。自分を努力して変えた人にはめっちゃご褒美があるんですね。

 

まさに、捨てる神あれば拾う神あり、、、ですかな。

 

 

 

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