谷村典子(煌羅カンナ) 日々のつぶやき

連絡を途絶えさせてはいけない

人生には節目節目に色々なことがあり、色々な方と関わってきている。その時はすごく必要な人だった。でも時は流れていくものなので、濃密に付き合う日々もまた変わっていく。毎日会っていた人と何年も会わなくなることがある。

 

 

先日、作家活動の詳しいプロフィールを作成しなければならず、デビュー当時にお世話になった監督の名前(漢字があやふやだった)を検索した。活躍されている方だからWikipediaがあるのだけれど、なんと命日が書かれていた。監督が一昨年亡くなられていたことがわかった。

 

私がアニメシリーズで脚本デビューした後、初めて書いたドラマ脚本でお世話になった監督なのだけど、当時、何度書き直してもダメな私を見捨てないでくださった。周囲のプロデューサーは「ここらへんで監督が引き取って書き直したらどうですか」というモードだったのに、監督は「最後まで谷村に書かせる」と言ってくださり。

 

その後、テレビ朝日の大ヒットシリーズ「相棒」シーズンIの演出をされることになり、「これはものすごく面白いドラマになるぞ」と、こっそり教えてくだったことが忘れられない。監督は喧嘩っぱやくて現場でも色々あって大変だった。でも、いつも「俺よりうまい演出家は日本にいない」と胸を張っていましたよね。実際に「相棒」をみて「本当にうまい演出だなあ」と唸らされた。

 

監督とはしばらく連絡が途絶えていたので、どうしているかなあとずっと気になっていたのだけど、、、もっと早くに連絡すればよかった。

 

そんなことがあった直後、私が28歳の時にザルツブルグーミュンヘンーデュッセルドルフに1年留学していた時に知り合った友人に、久しぶりに連絡を取ろうとした。

 

そうしたら、メールも携帯も自宅電話も通じず、Facebookにメッセージを送ってもずっと既読にならない。この4年、ものすごく忙しくて、最後の連絡は彼女の誘いを断り「また連絡します」と伝えて「待ってます」と返事をもらったきりになっていた。

 

後悔先に立たずというけれど本当に後悔している。彼女の家にも行ったことはあるけれど、正確な場所は覚えていないし、年賀状も全部処分してしまうので(そういえばここ3年ぐらいもらっていなかった)住所もわからない。

 

当時ザルツブルグで一人暮らしをしていた彼女の家によく「避難」させてもらっていた。ヨーロッパはお風呂に入る習慣がないから、お風呂に入れてもらうことが嬉しくて。日本食もよく作ってくれて、ザルツブルグで過ごした2ヶ月間は彼女がいたから何とかなったようなもの。

 

日本に帰国後も色々交流があったけど、ここ4年ぐらいそういえば連絡がなかった。でもFacebookでつながっているからあまり心配していなかった。自分がアホすぎて泣けてくるわ。

 

共通の友達も特にいないので、どうすることもできず。生きているかも死んでいるかもわからない。本当につらい。自業自得だけど。

 

大事な人とは連絡を途絶えさせてはいけない!!! 以前、大事な友人と一ヶ月連絡が途絶えたら亡くなっていたので、肝に命じていたはずなのに、、、

 

本当に、明日はどうなるか分からない。自分の天命に沿ってやっておくことは全部やるようにする。それが生きるということ。

 

という話をしていたら、アデプトを受けたいという声が身の回りから続々と上がり(来年の予約まで)。

 

私はアデプトを受けてから「今日やるべきこと」がはっきりしたので、毎日が全力投球。こういう生き方をしていれば自分がいつどうなっても後悔はしないだろうと思う。それだけが救いだとつくづく思う。

 

MMS公認ガイド 谷村典子

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