先月の誕生日に行きそびれた蓼科の「無藝荘」に行ってきました。9月からは土日のみ、11月頭には閉まってしまうので、ギリギリのタイミングでして。
日曜日だし、朝6時には出発しようねーとほぼ無理だと分かりながら約束して。それでも7時には出発できました。
行きはそれほど混んでなくて、談合坂でスタバに寄って、茅野市には10時半には着きました。
前に談合坂スタバでピンクの猫のサーモスを買ったので、それ以来スタバに寄ってはドリンク入れてもらってます。スタバの思うツボですな。
ICを降りたところに農場の直営店があって、ちょっと寄ってみたら、素敵なところで。
ドライフラワー、面白い果物や新鮮な野菜、植物がとても良くて、ダンボール2箱も買ってしまった。車だと際限なく買える。
そして、相方が行きたがっていた尖石縄文考古館に久しぶりによりまして。
ここの縄文土器はすごくいい。そして国宝土偶「縄文のビーナス」と「仮面の女神」に久しぶりに会いました。
8月には東北で「合掌土偶」と「縄文の女神」を見てきたので、国宝土偶5体のうち今年だけで4体会ったことになるという。
数年前に上野の国立博物館で5体が全員集合した時も見に行ったけど、現地で見るとまた格別です。
考古館の周りは広大な草原、遠くに山々と木々、そして晴天の青空が広がっていて、めちゃくちゃ気持ちよかったなあ。
相方は「俺がくるとどこも晴天になるなあ!」と毎度言うので、イラッとしますがほんとうなんですわ。
それで本命の小津安二郎監督の別荘、無藝荘へ。もともとあった場所から移転したらしいですが、建物はそのままだろうなというぐらい古くて趣があり。
わたしも相方も小津監督を敬愛しておりまして、鎌倉のお墓にもお参りに行きました。
小津監督が脚本家の野田高梧さんといつも蓼科の別荘で脚本を書き、お酒を飲み、散歩していたのは有名な話。
そしたら笠智衆さんや当時の俳優さんたちも皆さんこぞって蓼科に別荘を持つようになったんだとか。
残念ながら野田高梧さんの別荘は取り壊されていますが、笠智衆さんの別荘は外から見ることができました。
100年経っても不朽の名作と言われる作品の数々が、ここで生まれたんだなーと。
薪で炊く五右衛門風呂(わたしも子供の頃よく入りました)、かまどや古い食器棚を見ると、「麦秋」などで原節子さんの食事シーンなどがそのまま再現されているような。
灯一つ、漬物の陶器一つ、小津監督のセンスの良さが伝わってきて。と、ここまではよかったのですが、、、思いがけないハプニングが。
囲炉裏端でお湯をかけながら、無藝荘の管理人さんが、若いカップルと座ってまして。
「ここへどうぞ」と言われ、断るのも悪いかなと思って、相方と二人でカップルの横に座ったのが間違いのはじまり。
管理人さんが、ずーっと喋りっぱなしで。ワンフレーズしゃべると、「で、あー」と繋ぐので、切れ間がない。どこで話しかけていいかわからない。ひたすら一方的にしゃべる。
その内容も、小津ファンのわたしたちはほぼ知っていることばかりで、新鮮味もない。
やがて囲炉裏にあった大きな薪も燃え尽きてきて、夕方になっていて、さ、寒い。。。
わたしは寒さから、もよおしてきまして、ついに管理人さんのおしゃべりを遮って、「ちょっとおトイレに」と。
若いカップルも相方もホッとした顔になり(おいおい、みんな言ってくれ!笑)やっと退散。1時間以上は話を聞いていたと思う。
行きに無藝荘に向かうまでは「蓼科に家を持つのもいいね」なんて盛り上がっていたのに、帰りには「ま、蓼科じゃなくていいか」となり。
せっかくの無藝荘の感動が、忍耐の思い出になってしまったのであった。
まあそれはさておき、農場の直営店で食べたカレーが絶品だったとかで(相方が食べた)、まだ暖かい秋のうちに蓼科に行けたことは良かったです。ここから一気に寒くなりそうだな。
帰りの中央高速は3時間渋滞で、早めに帰路に着きましたが帰宅は21時ごろになってしまいました。
疲れていたけど、思いきって行って良かったです。無藝荘のハプニングも含めて。
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