谷村典子(煌羅カンナ) 日々のつぶやき

山梨から帰京

昨日の午前中、山梨の甲府サロンへ移動。立川発が10時台だったので、立川駅ビルも開店していてお弁当が買えた。今回はちらし寿司にしてみました。美味しかった。

 

12時過ぎに甲府サロンに到着。ワンルームなので、ささっと掃除してもすぐ終わる。そしてクライアントさん登場。今回初めての方。

 

DNAアクティベーションをさせていただきました。色々お話も弾み、次回からキングソロモンヒーリングをスタートすることになりました。

 

わたしのところのクライアントさんは、セッションはもちろんだけど、わたしと話すことが一番の目的らしい。一月に一回、わたしと話さないと落ち着かない、という方が多い。ありがたいやら面白いやら。

 

そして最初のクライアントさんが帰られて30分後に次のクライアントさん登場。オーリックリージョン4回目でした。

 

オーリックリージョンは大天使を呼び、クライアントさんのオーラに刻印していきます。最後はキリストを呼びます。

 

今までも、オーリックが終わると、その人の中にあるエゴとか自己卑下とかマイナス面がごっそり無くなるので、人格がまるっと変わる感じで。

 

体の中が空っぽになったなあと感じるぐらい。ミステリースクールのセッションは本当に特別だなあと毎回思う。

 

そしてクライアントさんが帰ってから、オンライン授業、オンラインミーティング、資料づくりと、、、甲府でこんなに働くとは!!! 午前様になってやっとお風呂に入って、、、とバタバタでした。


翌朝は10時にクライアントさんが来られまして。キングソロモンヒーリング4回目。ソロモンのシーリングの回。キングソロモンが一番好きだったというヒーリング。

 

その人の神の部分と人間の部分が合体するので、意識の覚醒がすごい。またまたミステリースクールのセッションの威力をまざまざと。

 

そしてクライアントさんとランチに行きましたー。その方が一週間に1度は必ずいくという和食屋さん。おすすめの鳥のランチ、大好きなシンガポール鳥飯の日本版みたいな感じ。美味しかったなー。

 

何よりもクライアントさんのお気に入りのお店に連れて行ってもらったことが嬉しい。その人の懐に入れてもらったような、家族の一員として認めてもらえたような気がする。

 

そこでもまた話が弾み、甲府駅のスタバでお茶してから東京に戻ってきました。席に座った途端、自分でも驚くほど疲れてて、特急の中では大爆睡。気づいたら立川駅。あぶないあぶない。

 

疲れているとやっぱりネガティブになるのよね。夜のミーティングまで寝ました。溜まっている雑用もあるし、日程も決めていかないといけないのだけど、、、

 

かつてOLだった頃、手帳に予定を書き入れることに必死だったことがある。予定が埋まってないと心配になるのね。

 

でもその頃は、ただ友達と食事するとか映画見るとか旅行するとか、そんな予定ばっかりだったなあ。

 

予定を埋めるために人に会っていたようなものなので、実際に会ってもそんなに面白いわけでもない。ドイツ語講座とかスポーツジムとかにも行ってたけど、大きな目標があるわけでもない。

 

今から思うと時間の使い方がすごく下手だったんだなあと思う。感じ取る力がなかった。

 

縄文土器を見ていると、こういう土器を作れる人たちって、本当に自由だったんだと思うわけです。

 

縄文時代は1万年以上もあって、戦争が一度もなかったと言われる時代。

 

今は西暦2024年だから、その5倍は続いたってことよ。人類史上、一番長く続いた時代とも言われています。

 

なぜかというと、狩猟時代だったから。弥生時代になって農耕が始まってから、人は土地に縛りつけれるようになって、毎日が平凡になった。

 

狩猟時代は苛烈な毎日だったはず。でもだからこそ、人間は自由でいられた。

 

縄文時代は、常に肉体の五感を働かせて、そして見えない能力を使い、神の存在を感じながら、命と向き合って暮らす日々だったから。

 

実は現代のわたしたちより、縄文人の方がよっぽど人間としての能力が高かったわけです。

 

衝撃だったのは、1951年に岡本太郎氏が縄文土器と出会い、つまらない存在だと思っていた人間にも素晴らしい可能性があったのだと気付いたこと。

 

それまでは縄文土器はただの土器だったんだけど、岡本氏が縄文土器は「皮相の現実(上っ面の現実)を超えた四次元的存在」だと言った。

 

歴史は、岡本太郎のような「慧眼」を持った人が現れないと、何があったか見抜けない。

 

かつて司馬遼太郎が「龍馬が行く」を書いて坂本龍馬がクローズアップされ、「新撰組血風録」を書いたから新撰組がブームになった。それまでは誰も知らない存在だったわけです。

 

岡本太郎氏が縄文時代の凄さを見抜いた。今の人間では理解できない、すごい時代だったことが分かった。

 

そういう「真実を見抜ける眼力」をつけたくて、わたしも形而上学を学んでいるわけですが。

 

だって、同じ人間として生まれてきて、何も気づかず死ぬなんて、一番虚しいと思うから。ていうか、死ぬ時に後悔すると思う。

 

そしたらね、多くの人は死ぬ時にものすごく後悔するんですって。「もっと色々やっておけば良かった」って。

 

どうやったら岡本太郎や司馬遼太郎、寺山修司のような「見抜く目」を持てるのか。じゃないと、ずっと騙されたまま生きていることになるんですよ。

 

世の中にいいようにこき使われて死ぬだけなんて、そんなの悔しすぎる。

 

それで、やっと少しづつ分かるようにはなってきたんだけど、まだまだ何かを発見できるほどじゃない。

 

世の中のみんなが騙されているけど、わたしは絶対に騙されたままじゃイヤなのよ。つまらない生き方から脱却したい。それが人間としてのプライドだと思うから。

 

その迫力がね、疲れていると出ないんですよ。毎日の生活に疲れているというのも、世の中に騙されている一因だと思う。ゆとりがないと何も考えなくなるから。

 

偉大な作家が書いた本を読んだり、偉大な監督が残した映画を見たり、真実を探る。無駄に時間を使ってはいけない。

 

そして、必要な人と、必要なタイミングで一緒に食事する。わざわざ時間を作って。だから話が弾み、有意義な時間になるんだなあと実感しました。

 

昨日も今日も、甲府で皆さんととっても良い会話ができたと思う。ありがとうございました。

 

疲れているからよく寝て、明日からまたがんばろう。

 

 

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