谷村典子(煌羅カンナ) 日々のつぶやき

長野から帰りました

昨日はアデプトが終わって、速攻で高速バスに乗った途端にガクッと気絶。

 

途中の双葉サービスエリアに停まるまで意識ナシ。思った以上に疲れていたみたいですわ。

 

家に帰ってからも荷解きもせず、速攻で寝る。やりたいことは山のようにあるんだけど、やっぱりトシなんだなあ。そりゃそうだよね、奇跡の60歳なんだけど、カラダは正直だ。

 

今回、初めて真理子サロンに泊まりまして、いずみさんが用意してくれた夕食やら朝食をいただき、なんか家族になったみたいでした。来月もサロンにお泊まりすることになりましたゆえ。

 

わたしの場合、タダの旅行では満足できない。その土地の文化、その土地の人々とどれだけ深く関われるか。じゃないと、ツーリストで終わってしまうのよね。

 

海外に行く時も、1ヶ月以上は必ずいくようにしてます。だからもう何十年も行けてないんだけどね。一週間程度の旅行とかじゃ、ただ見てきて終わりだもんね。

 

28才のとき、ヨーロッパに長く行きまして。当時はドイツ語を習得しようと思いましてね(ドイツのサッカー選手に憧れて、通訳になろうと思った)。

 

まずは、日本にあるドイツのゲーテインスティトュートで学びはじめたのね。

 

でも日本でちんたらやってたら何年かかるかわからないし、当時の夫が「どうせならドイツにいっちゃえば?」って言ってくれたので、思いきって行くことにしたわけです。

 

最初は2ヶ月の予定で、7月と8月はオーストリアのザルツブルグ大学のサマーコースに行って。

 

その後、9月と10月はドイツのミュンヘンにあるゲーテインスティトュートに通うことにして、その後は昔住んでいたドイツのデュッセルドルフに移動。

 

なんだかんだで、結局1年いたという。最後はゲーテインスティテュートの中級テストになんとか合格して帰国。

 

ゲーテインスティテュートはドイツ政府がお金を出していて、そこの語学の資格は世界共通なのね。

 

英語で言えばTOEICやTOFELみたいなもの?中級試験に合格するとドイツの大学に入ることもできる。

 

当時のザルツブルグ大学のサマーコース(今は廃止)にはヨーロッパ全土からいろんな人が来ていてね。

 

ヨーロッパって夏休みが長いじゃない?だから、大学のサマーコースに行って語学を勉強する文化があるってことをその時に知りました。

 

イタリアのジャーナリストとか、ポーランドの大学講師とか、インテリな人たちと知り合うことができた。

 

そして、イタリア人のカタリーナとポーランド人のダンカという親友ができたのです。

 

まず、イタリアのパルマのカタリーナの家に遊びに行って一緒に過ごさせてもらいました。

 

カタリーナの家は大きなワイン農園を経営しているお金持ちのお家で、カタリーナの親族や友達に紹介されて。

 

イタリア人って大家族で過ごすという風習、またカタリーナは週末ごとに同じ友達グループといつも遊ぶという文化、イタリアの上流階級の暮らしを経験しました。

 

そしてクリスマスはポーランドのクラクフに住むダンカのところで過ごしました。

 

ダンカはクラクフ大学の講師で、マンションをシェアしてました。一緒にワルシャワに行ったりして。

 

クリスマスはダンカの田舎のご両親の家に連れて行ってもらい、ご家族や友人たちと一緒に過ごしました。

 

質素だけど心のこもったおもてなしを受けて、本当に感動。ここでは書ききれないけど。

 

その後、わたしが小学校時代に過ごしていたドイツ、デュッセルドルフの同級生のご家族の家に半年間居候したのですが、彼らが年末年始を過ごすスイスのサンモリッツの別荘で合流しました。

 

ポーランドからスイスまでの夜行列車の旅はそれなりにアドベンチャーだったよー。なかなか怖かった。朝到着する予定が、夕方になったし。

 

スイスではスキーしたり、イタリアからカタリーナが会いに来てくれたりしてね。

 

ドイツ人家族(同級生の家はお父さんも友人もみんな弁護士で、やはり上流階級でした)の年越しを体験しまして、イタリア人、ポーランド人、ドイツ人の家族の中にどっぷり浸かったのでした。

 

ちなみに、その前に前の主人がアメリカ駐在が多かったので、ロサンゼルスの大学に通ったこともあった。

 

その時もアメリカ人家族の家に招かれて、その家のジャグジーに一緒に入ったり、ジェットスキーやら何やらやりましたなあ。

 

とにかく、その土地の人たちと深く付き合うことを信条にしているわけです。

 

それで、今は、山梨とか長野とか、やはりしっかり時間を過ごすことによって、そこの家族に深く入り込んでいます。

 

これは公認ガイドだからとかじゃなくて、わたしの習性なんだと思う。

 

人に興味があって、人が好きだから、気づくと深く入り込んでいることになる。

 

海外では自由に飛び回っていたけど、国内では人付き合いが苦手だったのよね。日本人が苦手だった。

 

でも、やっと日本人を理解するようになれたというか。むしろ外国人の方が壁があったから付き合いやすかったのかもしれないわね。

 

わたしの従姉妹2人、従兄弟1人は国際結婚してるけど、結婚はキビシすぎる。

 

ドイツ時代に大好きだった浜村さんという女性(父の三井物産に勤めていた)はドイツ人の養女になり、イギリス人と結婚してイギリスに永住。

 

国立市の実家の隣に住んでいた洋子さんはドイツに留学してドイツ人と結婚してドイツに永住。

 

浜村さんも洋子さんも、1980年代に国際結婚して永住したから、当時は今とは違って本当に大変だったと思う。

 

わたしが勤めていたメルセデスベンツ社でも同僚2人はドイツ人と結婚(社内恋愛)してドイツに永住してる。

 

周りにはそういう人がたくさんいるんだけどね。だから、わたしは日本に骨を埋めると決めたのかな(今のところ)。

 

それで、一番身近だからこそ一番難しい日本人と、ようやく深く関われるようになったという。

 

人間と信頼関係を結ぶということが、生きている上で一番大変なことです。そして一番意味があることだなと。

 

もし形而上学がなかったら、こんなに人と深く信じあえることはできなかったよ。

 

生きてるって本当に素晴らしいと、ようやくわかるようになってきた60歳です。

 

今日ね、61歳の大好きな女性と、「60歳って最高の年齢だよね」って話してました。

 

うちの母も「60代はゴールデンエイジだよ」っていつも言ってますがな。

 

そうなのかなあ? と半信半疑だったけど、60歳になった途端にわかった。

 

60代は本当に素晴らしい年代。10年間、元気で飛び回ろう。

 

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP