谷村典子(煌羅カンナ) 日々のつぶやき

エロスの世界

さてさて。長野、山梨行脚から戻りました。最終日はキングソロモンヒーリング初回のクライアントさんがリスケになったので、早く帰れたのだけど。

 

翌日、おとなの遊び場SPIELENの第4弾企画「なぜ日本人はエロいのか」のスライド作りで相方が予想以上に悶絶しておりましてね。

 

これまでは「食」とか「SF」とか「AI」「ホラー」と続いて、今度は「エロ」。やっぱりエロはこれまでと次元が違う大変さだったわけですな。

 

毎回、大丈夫か?と心配になるが、今回は流石にちょっと間に合わないかもと思いました。でもまあ、どこかできっと大丈夫って思っているんだけど。

 

わたしは形而上学を学び、というか身につけて、理解力とか気づきの力はついたので、あと何が必要かというと知識なんですね。

 

例えばどんなにサイキックになったとしても、わたしの器次第。伝えるのはわたしだから。

 

歴代の魔術師も、王や女王も、もちろんサイキックな修行はしたと思う。でもそれ以上に知識が豊富だった。

 

わたしが育った女子校は中高一貫校でした。中学と高校が同じ部活だったりするんだけど、先輩方がすごくてね。ニーチェとかカントとか読んでて、哲学の話とかしていた。

 

高校生ってすごいんだなーって思ってたけど、自分が高校生になった時は全然そんなの読んでなくて。

 

それでも三国志とか谷崎潤一郎とか三浦綾子とか遠藤周作とか結構読んでたけどな。

 

まあそれで、つまり、ちょっと前の日本人は結構ちゃんとしていて、その前の日本人はもっとちゃんとしてたなあと思うわけです。

 

そういう人間的な素養というものが、今はほとんど死滅してしまった。

 

いわゆる世界を動かせる人たちって、教養が豊かで、何ヶ国語もしゃべれたというね。

 

100年前の日本人を調べていたら、貴族階級の人たちは新婚旅行で大体1年ぐらいかけてヨーロッパを回っているのよね。

 

今の日本人では考えられないほどの大金持ちがたくさんいた。船でヨーロッパに行って、現地で車買って、1年間豪遊してたんだから。

 

自宅の庭にも何十台も外車が並んでいたり。車一台が(今の感覚だと)1億ぐらいしてたはず。

 

つまり、哲学とか経済とか、世界情勢を見聞きしておかないとグローバルな視点は持てない。

 

そういう人がスピリチュアルなことができるようになるから凄かったのではないかと。

 

昔ね、100人ぐらい占い師にみてもらったんですよ。子供の頃にものすごいサイキックなお爺さんのところに連れて行ってもらったの。

 

未だにそのお爺さん以上にすごい人に出会っていない。

 

わたしの人生、全てその人の言う通りになっているんですよ。で、そのお爺さんが亡くなって、代わりを探して100人。でもどこにもいない。毎月10万は使ってたな。

 

そんなにすごい人はもういないと思ってね、だったらある程度なら自分でもできるだろうから、占い師に費やしているお金を使って自分が占いを習おうと思ったわけです。

 

でも人生本当に無駄なことってないなと思う。自分が占い師になった時、お客さんがどういうことを言って欲しいのかすぐ分かったから。

 

だから占い師デビューしていきなり大丸百貨店とか上野松坂屋、日本生命、ホテルニューオータニの雇われ占い師になれた。

 

そこで悟ったんだけど、たとえば、占い師に会社員経験がないと「あなた、パソコンが向いてるわよ」みたいなことしか言えないんですよ。

 

自分の知識レベルでしか何かを伝えることはできない。

 

わたしは形而上学の本を6冊書かせてもらって、気づいたんです。どんなに素晴らしいことを教わっても、それを掘り下げていかないと「受け売り」になるってことをね。

 

今回のおとなの遊び場のテーマは「エロス」だったんだけど、それも、今回深堀しなければ、自分がエロスを分かってないことが分からなかった。分かったつもりのイタイ人だった。

 

エロスって、エクスタシーって、オーガズムってなんだと思います? 

 

人間が変化するときには暴力が必要で、人間が大元の姿に戻れる手段。神に戻れる手段だと、バタイユが言っている。

 

三島由紀夫や岡本太郎、特に岡本太郎は実際にパリ大学でバタイユと共に行動している。

 

二人はイニシエーションを受けて魔術結社を結成して秘儀などを行ってきたことは有名な話。

 

バタイユはニーチェの影響を受けていて、ミッシェル・フーコーもバタイユの影響を受けている。

 

人間の知識や教養は、こういう偉人たちによって深まってきたとも言える。

 

そのバタイユが「エロティシズムと死」をテーマにしていて、それを知った時、初めて自分の言葉で宇宙のことを言えるんだってわかった。受け売りじゃない言葉で。

 

そして、巨匠と呼ばれる映画監督は、こういう形而上学をよく理解していて、それすらも超越した映画を撮っている。宮崎駿監督の作品なんて、超絶形而上学だもんね。

 

20年以上昔の宮崎監督のドキュメンタリー映画で、まだ新人だった米林監督に向かって「春巻の食べ方が分かるやつは宇宙の真理が分かる!」って言ってたのが衝撃でね。

 

形而上学は、知ったらすごいんじゃなくて、その真実を咀嚼して、自分の言葉にできるかどうか、だと思う。

 

今回はエロスの定義をがっつり深めてくれて感謝。すごく大変だったけど、皆さんの感動も深かったよ。

 

セックスで「いく」ってどういうことなのか、すごくよく分かったしね。

 

愛を描いた名作の登場人物がいつも死ぬのはなぜか、とか。そして、日本人の性と外国人の性は違う。

 

日本人の性は宣教師によって変わってしまった、などなど。知らないことがたくさん。

 

まだまだテーマが深すぎるので、次回は江戸時代のエロスについて語ってもらうことになりました。

 

春画は浮世絵の最高峰だとかね。そしてその次は古代、縄文時代のエロス。土偶はなぜ女性なのかとか。

 

知らないって本当に悲しいことだと思う。知るだけで世界がガラッと違って見える。

 

皆さんの顔があまりにイキイキとしてくるので、寒かったけど熱い夜になりました。

 

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