谷村典子(煌羅カンナ) 日々のつぶやき

死ぬことは全然怖くないというお話。

 

 

明日から(もう今日だけど)大変なアデプトプログラムなので

 

明日締め切りの原稿を仕上げていたらこんな時間になってしまった。

 

とっとと寝ろよ自分、と言いながらブログを書くという。

 

ちょと書き留めておきたいことがありまして。

 

一昨年、お客様として知り合った方が病気になられて、その後ずっとメールでやりとりしています。

 

その方は病院での治療は自分に合わないと感じられて、病院を出て今は地方で代替医療を受けているんですね。

 

病院にいらした頃は、とても悲観的で辛いメールが多かったのですが、最近いただくメールには本当に心を打たれて毎回深く感動させられるのです。

 

去年の今頃、毎日読んでいた小林麻央さんのブログに通じる「諦観」というか、あるがままの自分を受け入れる姿に心を打たれるのです。

 

病気と闘うのではなく、できるだけ共存する、そして彼女が今いる所はそういう生き方を選択している方が集まっているそうなのです。

 

患者という意識ではなく、ちょっと体に不便なところはあるけど、自分でできることはできるだけ行う。

 

病院にいたらチューブに繋がれて寝たきりになる人でも、そこでは毎日何十キロも歩いて自分で食材を買ってきて自分で調理して食べるそうです。

 

自分らしく生活できるって、一番の幸せですよね。

 

私の祖母も、両足がなくなっても自宅に帰りたがって、結局病院で亡くなりましたが、今思えば家に帰してあげれば良かった。

 

私ももう終わりを意識する年齢に差し掛かってきて、しかも子供もいないし、病気になったらどうしようと考えることがあります。

 

最後まで自分でできることは自分でやっていたいなあ、と思います。

 

 

私も入院じゃなくて、そういう代替治療を受けられる場所を選びたいですね。

 

彼女がいる場所は、私が何回か行って、大好きな香川県なんですね。

 

 

香川県なら絶対に元気になれそうですもん!

 

 

その代替治療を受けるところでも、調子が良い時はちょっと力を振り絞って、みなさん四国八十八ヶ所お札巡りもされているらしいんですよね。私も死ぬまでに一度やりたいので。

 

彼女とメールをやり取りしているうちに、病気になるとか死ぬことが本当に怖くなくなりました。

 

 

むしろ、私らしい人生の幕引きはどんな風にしようかなとか、死ぬときは清々しい気持ちでいたいなとか、

 

彼女とのメールのやり取りが、珠玉の宝石のように、かけがえのないものになっています。

 

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