谷村典子(煌羅カンナ) 日々のつぶやき

プロフェッショナルとは自分を貫くことに限る。

 

今日、長年の友人でもあるライターのMと話していて、ちょっと気づいたことがあります。

 

プロとしてものを書くときって、とにかく周囲の意見がすごい。私は脚本、Mは単行本を書いているのだけど、私はプロデューサーやスタッフ、俳優、原作者、スポンサーと、作品の規模が大きければ大きいほど意見を言ってくる人が増える。Mの場合は出版社、カメラマン、他のライターやなんやかや。

 

方々から意見を言われると、自分が書いているものがどんどん自信がなくなってくるんですね。それで、書き換えてしまう。でも後になって「なんであそこを削っちゃったんですか?」と言われたりする。いやいや、あなたが「良くない」って言ったんでしょ、といつも不満に思っていたわけです。(Mも同じことが沢山あったと)

 

ところが、違ったんですよね。アイデアまで否定されていたわけじゃなくて、「そこはうまく伝わってないよ」って注意されただけだったんですね。それを、私はすぐ自分に自信がなくなってしまうから混乱してしまっていた。

 

そもそも、プロの現場では褒められることはほぼなくて、批判される一方だから、ますますわからなくなる。

 

昔、文章のプロってどういう人だろう?って思ったことがあったんだけど、文章のプロって、他人からの批判に耐えうる精神的強さがちゃんとある人だと気づいた。うっすら分かっていたけど、Mと話していてはっきり分かったんです。

 

 

例えば、私は脚本家を目指して松竹シナリオ研究所に入り、同期が55人いた。その中で、卒業制作の脚本を書いたのが半分くらいだから30人弱。そして、その作品をみんなで徹底的に批評する。「プロになったらめちゃくちゃ言われるようになるから、その訓練になる」っていうことで。

 

もうね、すごいのよ。私は刑事の話を書いたのだけど、「刑事がこんなダサいセリフを言うわけないじゃん」とかボロクソにけなされ。ほとんどの生徒が一回批判されると、ショックを受けて辞めていくんです。批判を受けてから作品を書き直したのは、私を入れてたった3人。

 

大金を払ってシナリオ研究所に入って、書き直したのが55人中3人。それぐらい、文章を書き直すのって高いハードルなんです。つまり、自分のプライドがズタズタにされた時にまた立ち上がれるかどうかというと、ほとんどの人ができない。

 

私は松竹シナリオ研究所で「厳しすぎるんじゃないか」って思ったけど、実際に現場に出たらその何十倍も厳しかった。だから、よほど自分を信じる力、自分を甘やかさないで戦う力がないととても生きていかれない。

 

でもきっと、作家だけじゃなくて、音楽家も俳優も画家も、クリエイターはみんな同じだと思う。素人だって何かを表現しようとすると、ここでもまた自分との戦い。誰に何を言われようと、自分を曲げたら負けなんです。

 

でも、曲げたらいけないっていうのは頑固に固執するっていうことじゃなくて、自分のどこが受け入れられないのか、俯瞰して物事を見つめる目も大事。自分というカラから抜け出して、自分を第三者の目で見つめる能力も必要なんですね。

 

それで話が元に戻るんですけど、Mが「あなたはすごく変わった」と言ってくれて、作家として本当にプロになれたんじゃないか、と言ってくれた。私も自然にそう思える。それは自分の弱点を克服しようともがいて、形而上学と出会えて自分を鍛えたからなんで、そしたらMも「私も形而上学をもっとやリたい」と言い出した(Mは去年アデプトを受けている)。

 

 

私が成功することで、形而上学の本当のすごさが伝わるといいなと思っていたけど、そうなってきて嬉しいという話なんですけどね。

 

 

クライアントさんを見ていても、会社や上司や同僚や取引先や、周囲の人に振り回されている人は本当に多い。「私はこれが正しい」と思えたら、それは貫かないといけないんです。たとえ99人が敵だとしても、たった1人になっても戦わないといけない。そして、正しいことは最後に選ばれます。それは本当。

 

私も今回の仕事で「あの部分はおかしい」と言われても、しぶとく粘ってなんどもブラッシュアップして書いて、最後には納得してもらえた。この強さが私が一番必要だったものであり、一番身につけたかったものなんだな、と思うわけです。

 

 

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP