谷村典子(煌羅カンナ) 日々のつぶやき

父が亡くなるまでの10ヶ月

二ヶ月ぶりの投稿となります。

何があったかというと、アメブロなどでは書かせて頂いたのですが、父が亡くなりました。まだ一ヶ月経っていないのですが、なんだかもう遠い昔のことのようです。それくらい慌ただしい一ヶ月だったのですね。

父は本が好きで博識で、作家になりたかったようですね。80歳で仕事の第一線から退いてから4年間でA4サイズで82枚もの今までの自分の歴史を書き残していました。幼稚園や小学校の1年1年で何があったのか全部書いてある。というか、覚えていることにびっくり。私なんて幼稚園時代のことは忘れていますもん。

 

その後、私が執筆させて頂いた、モダンミステリースクール サードオーダー イプシスマス中込英人氏の形而上学BOOK「成功者(エリート)が独占してきた成功の秘笈」が出版されました。この本は世界中のミステリースクール(55カ国)でも随時販売されるということで、英訳されたんですね。

 

この本を英語に訳してくれたのが父でした。ちょうどアデプトを受けて半年経っていたのでじゃあ試しにとお願いしました。アデプトプログラム受けている最中は「長い」とか文句ばっかり言っていたのですが、本の翻訳は嬉々としてやってくれました。もともと商社マンで80歳までアメリカや中国の会社の顧問として毎月海外を飛び回っていたので、英語も堪能。作家志望でもあったので嬉しかったのかもしれません。

 

そして英訳が無事に終わり、私がモダンミステリースクールで学んでいる形而上学の素晴らしさを本当に理解してくれたんですね。それまでは怪しんでいる部分もあったのですが、すっかり味方になってくれるようになりました。そんな矢先、翻訳の疲れを癒しに温泉でも行こうかと約束した日に救急車で運ばれました。

 

重度の肺炎だったのですが、それまで元気でしたし毎日スポーツジムにも通っているほど体力もあったのでまさか死ぬとは思わなかった。でも日に日に格段に病状が悪化するんですね。なんで良くならないのか、一週間経った頃から医師団も私たちも焦りはじめ。

 

あまりこういうこと書くと良くないとは思うのですが、父が入院した時に卑弥呼とチャネリングした時は「年内まで持たない」とメッセージがきたんですね。でも信じたくなかったし、信じないようにしていました。。。

 

毎日容体は悪化しましたが、父の意識はしっかりしていました。あとで分かったのですが、3つの肺の病気を併発していて、特に間質性肺炎という肺がどんどん縮んでいく症状が進み、酸素吸入器マックス(一日60リットルもの酸素を注入した)になってもどんどん呼吸が苦しくなっていきました。

 

父は悶絶の苦しみだったと思いますが、一言も「辛い」とも「苦しい」とも言わなかったです。その上、「家のパソコンに遺言書や死後の手続きについて書いてある書類があるからプリントアウトしてきて」などと指示を出すのです。私が家に飛んで帰ってパソコンを開いていると父から電話がかかってきて「見つかったか?」と。父は生きている間にできるだけのことをしようとしました。

 

だんだん死ぬことが現実に迫ってきましたが、父は動揺を見せませんでした。内心ではどんな気持ちだったかと、父の気持ちを思うと今でも涙が出ます。反対に私が動揺してなんども泣いてしまいましたが、父に負担をかけたことでしょう。「泣くな」と私の頭を撫でてくれて、「泣きたいのはこっちだよ」とおどけてくれました。本当にカッコよかった。最後に父の男らしさ、頼もしさを本当に知ることができました。

 

そして亡くなる前日に「アデプトのことをもう一度教えてくれ」と言われたんですね。私がアデプトの話をすると、父はメモ帳とペンと取って、力が残っていないのにミミズのような字でメモを取るんです。一年前のアデプトの時はメモなんて取らなかったのにね。そして「アデプトになれて良かったなあ」と喜んでくれました。

 

実は、母がカトリックの神父さまを呼んで父に洗礼を受けさせようとしたんですね。でも父は「自分はアデプトを受けたから永遠に生きられる。宗教は必要ない」と断りました。そして「あと1日持たない」と医者に言われても「100分の1の可能性を狙う」とメモに書き残していました。最後まで生きることを諦めなかった。

 

本当に立派な最後でした。なんでもメモに残すのは作家魂ですよね。医者に言われたことも必死にメモに残していました。最後、あまりに汗をかいてシーツまでビショビショだったので父が「着替えよう」と言ったんですね。着替える力があるのか心配だったんですけど、きれい好きな父は気持ち悪いのだろうと思いました。そして着替え終わった瞬間にあの世に逝ってしまいました。

 

「成功者が独占してきた成功の秘窮」の完成本を父に見せることはできませんでした。でも父の話に感動してくださった中込さんのお計らいで、第二刷から父の名前と経歴を載せて頂けるとことになったのです。「翻訳者」としてだけれど、父の名前が載った本が出ることになりました。作家になりたかった父への最大の供養になるかと思います。

 

父がアデプトを受けてからの10ヶ月、父と形而上学の本を翻訳し、そして父は毎月DNAアクティベーションや最後はキングソロモンヒーリングを2回目まで受けてくれていました。すっかりヒーリングやアクティベーションがお気に入りで、「今度はいつやってくれるんだ」と楽しみに待っていてくれました。

 

父が最後までみんなに感動を与えるような生き方ができたのも、ヒーリングやアクティベーション、アデプトプログラムのおかげかと思っています。本当に父は変わったんです。昔は、父が亡くなってみんなが悲しむとは思えないほど自己中な人だったので。父の死後、84歳とは思えないほど多くの方が弔問に訪れてくれたのですが、昔の友達だけじゃなくてここ数年でできた素敵なお友達がたくさんいたんですね。

 

亡くなる前に、「私もそんなに遠くないうちに向こうに行くから待っててね」と言ったら、父は「おいで、おいで」と言いながら手招きしてくれました。父は待っていてくれるので、私も残りの地球での人生を思いっきり楽しんで、父に報告できるように頑張ります。

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