ちょっと前に和代ちゃんと「久しぶりに話したいことたくさんあるね!」って言ってました。いつも周りに人がいて、なかなかじっくり話せないので。でもわたしも和代ちゃんも東西南北飛び回るMMS公認ガイド(アデプトイニシエーションを許可されている最高峰のヒーラー)ゆえ、時間が合うってことがない。
そんな中、今週は26日午後だけ空いてるなー、そこは溜まってる事務作業をやらなくちゃなーと思ってたんだけど、ふと和代ちゃんに「26日の昼間なんて空いてるー?」ってLINEしてみたわけ。何せ朝の6時からアデプトするぐらい忙しい人だから、平日昼間なんて空いてないだろうな、でもこのLINEがきっかけで「◯◯日なら空いてるー」なんていうふうに日程が決まらないかなーぐらいの気持ちで。でもわたしもこのあと空いてる日がずっと後までないんだけどね。
そしたら「奇跡的にそこ空いてます」っていうじゃありませんか。願えば叶う。あきらめんでよかった。ということで、急遽ランデブーが成立。グルメ担当(フルっ)の和代ちゃんチョイスの和食屋さんでお昼集合。吉祥寺駅からお店に向かうまでの間に「お店に着いたらすぐトイレに行こう」と思ってたのに、お店についてすぐ和代ちゃんがきて、もう顔をみた途端に話が止まらなくなって、結果、5時間トイレにも行かずに一気にしゃべり倒しました。笑
なんか美味しいもの食べたなという記憶はあるけど、しゃべることが優先で何食べたか覚えてないし。でもいきなり花火バチバチのプレート運んでるお店の人が見えて、「あら、今日お誕生日の人がいるのねー」なんて思ってたら、わたしだった。和代ちゃんが事前にお店に注文していてくれたのでした。まさかのサプライズでお祝いまでしてもらいましたー。わたしから誘ったのにーーごめーん。
わたしと和代ちゃんがよく似ているのは、自然体が一番いいというところ。和代ちゃんは美術史を学んできて、芸術の理解が深い。やっぱりね、芸術がわからん人は世界の仕組みがわからんのよ。逆にいうと、世界の仕組みがわからないと何も表現できない。全体を掴んでいるからこそ、一つ一つが表現できる。曖昧で中途半端な理解が一番やっかいなんですね。
それはどういうところでわかるかというと、例えばわたしの場合は、まだ脚本家デビューする前は、監督やプロデューサーに「どんな映画が好きなの?」って聞かれるわけです。これがクセモノでね、さりげなく軽く聞かれるから、軽く答えちゃう。でも映画の題名を言っただけで、わたしのレベルがわかってしまう。つまり入社試験みたいなものなのね。脚本家はフリー稼業だから、たった一言で仕事が決まることもあるし、たった一言で仕事を失うこともあった。プロが見抜く目をナメてはいけない。
どれだけ「モノを見る目があるか」というのは、一瞬でわかる。和代ちゃんは、採用2人の厳しい入社試験に合格したのは、その会社に飾ってあった絵のことを面接で言ったからだそう。「君、見る目あるね」っていうことだった。でもほんとうにそうなのよね。ちなみに、先日ある企業の社長がアデプトを受けにこられて、最初はとりつくしまがなかったんだけど、岡本太郎氏の話になった途端に態度が一変して、前のめりに話を聞いてくれるようになった。
その時、ただ「岡本太郎を知ってる」だけじゃダメなんです。岡本太郎氏がいかに形而上学的な生き方をしたか、ということでめちゃくちゃ盛り上がったわけです。そこで一気に距離が縮まった。人を惹きつけるって価値観の共有だと思う。相手のレベルが高い人ほど、こちら側もレベルが高い目を持っていないと近づくことはできない。
すごい仕事をしよう、面白い人たちと付き合いたいと思ったら「教養」がすべてだねと。「この映画面白いですよ」っておすすめした映画のレベルによって仕事が決まる。芸術の理解って、その人の生き様、教養、知識、人格、すべてだから。
和代ちゃんと、とにかくどんどん人間レベルを上げていって、世界で活躍しなくちゃねと誓い合ったわけですな。
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