谷村典子(煌羅カンナ) 日々のつぶやき

思い出の広尾

やっぱり歳を取ったんだなあ。疲れが取れにくくなってますな。今日は夜の予定をリスケして、早く帰ってきました。もうね、体がきつい時は無理しないことにしてます。明日は河口湖瞑想会だから尚更コンディショニングが必要。

 

午後は2ヶ月ぶりに広尾の美容院へ。この美容院が今から25年前にオープンした時から通ってるんですよ。今の担当は3代目。スタイリスト(髪の毛を切ってくれる人)のアシスタントがスタイリストに昇格して、ということを繰り返して3人め。

 

今の担当はずっとお店を辞めないので(他の人は独立)もう20年の付き合い。最初はシャンプーボーイだったのが店長にまでなった。出会った頃はわたしも30代だったもんなあ。

 

何を隠そう、わたしは20代の頃は「お金、お金」だったんですよ。最初に入社した会社で仕事ができる先輩と結婚して、その先輩が野心家で外資系に転職して億万長者になった。

 

わたしも外資系に転職して、2人で港区高輪に住んで、わたしの誕生日は永田町の料亭で祝ってもらって、海外に行く時はファーストクラスだった。乗っていたのはもちろん外車。

 

でもお金の使い方を知らない人がお金を持つと人間が荒むんですね。喧嘩しても「どうせ金だろ!」ってお金を投げつけられるようになり。ブルガリとか衝動買いしても、一瞬嬉しいんだけどまたすぐ虚しくなる。

 

何が幸せだかわからなくなった。先輩も変な遊び方するようになってて、でもそれもどうでも良くなってた。

 

そこでわたしは一念発起してドイツに渡り(子供の頃ドイツに住んでたので)ドイツの大学の入学試験に合格するまでドイツ語を勉強しながらヨーロッパを放浪しました。なんだかんだで1年間。

 

その間、先輩がお金を送ってくれたのでそこは感謝しております。わたしの人生の中でも貴重な一年でした。途中、先輩とニューヨークで落ち合って遊んで、またドイツに帰ったりしてた。

 

その後、日本に帰ってきて、ドイツの商工会議所に仕事ないかと聞きに行ったら、4社から「ぜひ来てください」と言われ。ドイツ語MDFの資格を取ってきたのが良かった。その中でダイムラーベンツ社(のちにメルセデスベンツ社と合併)を選んで入りました。

 

やっと一生働ける会社に入れたと思ったんだけど、結局事務仕事だった。クリエイティブな仕事のカケラもなかった(あたりまえだけど)。

 

その後、ドイツ語の資格を使って長野オリンピックリヒテンシュタイン選手団ドイツ語通訳もやったりした。オリンピック選手村での仕事は人生最高に楽しかったんだけど、オリンピックは終わってしまった。

 

ドイツ語通訳を目指していたんだけど、これ以上面白いと思える通訳の仕事はもう一生ないなと思いまして。通訳もやっぱりクリエイティブな仕事ではないと気付かされた。

 

それで、このまま一生が終わったら死ぬ時後悔するなーと思いまして、じゃあ何をやるかってなって、やっぱり小学校、中高、大学とずっとやってきた演劇や映画の世界しかない。あるかないか分からない才能ってやつで勝負するしかない!と。

 

そこで松竹シナリオ研究所(今は閉鎖)に入所して、ダイムラーベンツ社と掛け持ちして頑張ってたんだけど、昼間会社に行って夜書いていると体がもたないので、会社を辞めることにしました。

 

その時に先輩に「脚本家になりたい」って言ったら、「本気で脚本家になりたいなら、結婚してたらダメだと思う。逃げ場があったら一人前になれない世界だと思うよ」と言われて、「そうかわかったありがとう。じゃあ離婚する」ってなった。

 

あの時は、なんて理解ある旦那さんなんだ!って感動したけど、今から思うと、そういうふうに言えばわたしが脚本家をめざすことを諦めると思ったんだろうな。先輩に頼りっきりな妻でもあったから。

 

そこで、離婚して港区高輪のマンションを出て、恵比寿のアパートに引っ越して、映画製作会社の時給900円のアルバイトになったというわけです。

 

周りは仰天したけど、わたしはちっとも心配してなかった。貧乏になったとも思わなかった。やっと自分らしい人生になったとワクワクしっぱなしだったから。

 

でもそれまでお金持ちの生活をあたりまえのようにしてたから、面食らうことも多かった。毎週2万円のネイルサロンも、港区の超豪華スポーツクラブもやめなくちゃいけなかったし、食料品は恵比寿ガーデンプレイスの三越で買ってたけどスーパーに行くようになった。

 

いつもよく行ってた広尾にもあまりいけなくなったんだけど、その時にオープンしたばかりで通い始めた美容院だけは止めなかったわけ。

 

その後10年間、ものすごい貧乏生活になった。でもお金がありすぎても不幸になるってわかってたからあまり苦にはならなかった。むしろ「まともな」経験ができたと思ってます。

 

よく脚本家の大先輩方に言われたんだけど「人生はどこかで足腰を鍛える時期が絶対に必要」ってね。亡くなった叔父はJR東日本の副会長だったんだけど、「のりちゃん、苦労は若いうちに金を払ってでもしておきなさい」っていつも言ってたな。

 

でも本当の苦労ってなかなかできないもの。今思うと、本当の苦労って、なんの後ろ盾もなく、誰も頼らず、自分の力だけで生活費を稼いで、やりたいことを諦めずに続けることだとシミジミ実感しました。

 

脚本家になるために死に物狂いで頑張ったからね。一日千円しか使えないという生活を3年やりました。パンツは穴があいてたし、パンもろくに買えない生活もした。

 

めちゃめちゃバブリーな生活からど貧乏まで、一通り経験しましたー。ど貧乏の頃は広尾の美容院にも行けなかった。5年間ぐらいかな。でもその後復活して、今また通ってる。

 

今日は帰りに明治屋に寄って、以前はあたりまえのように通っていたけど、改めて何もかもが洗練されてるよなあ、広尾って。これも東京の醍醐味の一つだな。学生時代は広尾の図書館にもよく通ってたっけ。有栖川公園通ってね。

 

美容院では淡々と髪切られて染められるだけなんだけど、なんかね、同じところに20年30年通い続けるクセがあるわたしにとっては、1回1回が歴史の積み重ねなんだよね。

 

 

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