毎年、新年はあるいみ一番ヘビーな授業を担当するところからスタートします。
今年は体調もイマイチな上、山梨から戻ってすぐ2日間だったので、キツかったなあ。
形而上学の真髄を伝えるのは本当に難しい。何年やっても、教えれば教えるほどまだまだ全然ダメだなと思う。
なんていうか、普通の「教える」という感覚を超越しないといけないと思う。
セオリーじゃなくて、今、掴んだ真実をそのまま表現できたらいいんだけど。
舞台俳優ってそんな感じなのよね。わたしはぶっちゃけ、本当は舞台女優になりたかった人。
小学校の時に、担任の先生に「20分あげるから自分で台本書いて、一人芝居をやってごらんなさい」と言われて。
6年生の謝恩会で生徒、父兄600人ぐらい?のところで一人芝居「バスガイド」をやった。
その時に、大絶賛されたことが人生のスタートだったと思う。担任の先生はまさに恩人です。小学校、中学校、高校と同じ雙葉学園だったのだけど。
小学校の謝恩会でバスガイドをやって、中学でも高校でも、今でも「あの時のバスガイドさん」と言われる。
大学では親友が入っていた慶應大学シェイクスピア劇研究会に所属し、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」とか「ハムレット」に出演。
そこではのちに日テレのアナウンサーになった方や、文化放送の名物アナウンサーになった方々と一緒にやってました。
そして大学卒業後は専門商社に入社。しかしそこでも新入生歓迎会で「サラリーマン杜子春」という影絵を上演。
そこで「会社始まって以来の名作」と大評判になり。「演劇部」とあだ名された。
会社では仕事よりレクリエーション担当になって、全日空ホテルで松崎しげるディナーショーとか開いたりしたなあ。当時の予算1千万円でやらせてもらった。
その時に「今からではもう舞台女優は無理だから、通訳になろう」と思いまして。
そこで、日本でタラタラ勉強していても時間がかかるだけだからと、1年間ドイツに留学して(子供の頃にドイツ語ベラベラだったこともあり)。
ゲーテインスティテュートの中級試験(大学合格資格でもある)に合格して、日本に帰り、念願のベンツ社に入社できた。でも結局は同じ仕事の繰り返し。
わたしは最初の商社からずっと貿易実務を担当していたんだけど、ドイツの会社にいても使うのは英語だったし。
日本人がドイツ語喋れないからね、ドイツ語は使えなかったのでした。
で、長野オリンピックで選手団通訳をやるために退社して、その頃には脚本家を目指していたというわけ。
オリンピックでの仕事は人生最高に楽しかったけど、通訳としてはこれ以上の経験はもうできないと思った。
それと、通訳は手段に過ぎないなあと。クリエイティブな仕事、やはり映画や演劇の世界にいきたかったのね。
そこからまた話は長いんだけど、でも結局は、「今を生きる」という生き方を体得しなければ、何をやっても無駄だということが痛いほどよくわかったというわけです。
昨日は魔法学入門の授業をやらせてもらいまして。授業もライブだから、今、自分がどんな言葉を発するのか、それが面白くて仕方ない。
自分が成長すると、自分でもびっくりするようなことを言い出したりするのよ。
それって、学校の授業とは違うってことなんですよ。決まったことを繰り返して言ったりしない。
今、わたしが一番感じていて、一番言いたいことを、今の最高のレベルで伝えることができる。
だから毎日最高にワクワクしています。今年も高みを目指していく次第にて。
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