谷村典子(煌羅カンナ) 日々のつぶやき

ワーグナーのオペラを見て

先日、ワーグナーのオペラ「さまよえるオランダ人」を見てきました。その感想はSNSで上げてきたので、今またここに書かないですが。

 

ご興味を持たれた方はFacebook、インスタで見てみてください。本名で検索すると出てきます。

 

ワーグナーの何がすごいのか、ずっとわかりたくてわからなかったんです。

 

ワグネリアン(ワーグナー愛好者)には大人の香りがして、いつか仲間になってみたかったんですよね。

 

ヨーロッパの文化にどこか引け目を感じたり、憧れが強かったのです。

 

日本も相当素晴らしいことがわかった今でも、何か芳醇なワインをいただくような特別な憧れがある。

 

SNSにも書いたのですが、ワーグナーの作品では、どんなに素晴らしい恋愛も、神と人間の関係性から見たら全然大したものではない。

 

大事なのは人間と神との関係性。人間は神にしか理解されない。

 

このことが、形而上学を学ぶまで絶対にわからなかった。

 

正直、ワグネリアンでも形而上学のイニシエーションを受けていない人は本当の意味はわからないのではないかと思う。

 

実は中世はヨーロッパではイニシエーションが盛んに行われていて、その中心はドイツだったらしいです。

 

だからモーツァルトもゲーテも、イニシエーションを受けて「神」を語ることができた。

 

モーツァルトの音楽が天上の音楽と呼ばれるほどすごいものだった。シェイクスピアもそうだと言われている。

 

そこから百年後ぐらいになるのかな、ワーグナーが1800年代にやはり形而上学を得て「人間から脱出」できたのだなと。

 

わたしが20代、30代の頃にワーグナーのオペラを見た時はチンプンカンプンでした。アタマのおかしい主人公だと思ったし。

 

だってね、目の前の素晴らしい恋人より、夢の中に出てきた浮浪者みたいな男性を選ぶんだから。普通の「人間」は頭がおかしいと思うんですよね。

 

やっとその意味がわかって、もう大興奮!!!!! 狂喜乱舞。人間を描けるのは神しかいないんですよ。

 

形而上学は人間を脱出する学びなので(イニシエーションと知識の両方がないとだめ)、それがないとここまで理解することは難しい。

 

わたしも作家として山のように本も読んできたし、取材もしたけれど、形而上学を知っている人には出会えなかった。

 

でもね、形而上学を学んだから理解できるとも限らない。ここが怖いところで。

 

イニシエーションを受けた後も大事なんですよね。ただ学ぶだけじゃなくて、自分の世界をどこまで掘り下げられるか。自分の表現をどこまで磨けるか。

 

進化し続けるわたしの姿を見て、「典子さんみたいになりたい」っていう人が勝手に後をついてくる。これが本来の人間のあるべき姿かなと思う。

 

ワーグナーを理解できるようになった自分をちょっと誇らしく思います。

 

何百年も、何億人というワグネリアンが今でもワーグナーを慕っている。彼が人間の真理を知っているからです。

 

ワーグナーはだから永遠の人々の中で生き続けているんですよね。彼は過去の人じゃない。むしろますます輝いているんです。

 

そんな作品を残そう!!! という気持ちにやっとなりました。

 

できるかできないかじゃない。やるだけだ、というね。

 

自分に自信がある=エゴだとすると、自分に自信がない=エゴなんですよね。

 

今日はやっと4ヶ月ぶりに美容院に行きまして。もう30年近く通っている広尾の美容院。オープニングから行ってます。

 

20代の頃、結婚相手を叱咤しまくったらお金持ちになちゃって、イキがって高輪に住んで、広尾でお買い物してました。明治屋とか三越とか。

 

その頃からずっと通ってて、脚本家になって貧乏だった時代、しばらく行けなかったこともあったけど、また復活して。

 

今の担当のゴリさんが入社したての頃からの付き合いで。ゴリさんはヘアカットのコンクールに毎年出場していて、決勝まで残ったことがある。

 

そういう探究心があるところが気が合うんだけど、今日も、人間は言い訳をすぐ作る生き物だから、自分との戦いだよねーって話してました。

 

髪の毛切りながらね(笑)。

 

で、ゴリさんはずっと水泳やってて、わたしも運動するって約束してきたの。

 

運動して、瞑想して、作品書いて、自分に負けずに頑張るぞ。

 

人生の時間は短いからね。

 

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