谷村典子(煌羅カンナ) 日々のつぶやき

アデプトを終えて次のアデプトへ

長野3日間の翌日から国立サロンにてアデプトプログラム、昨日は車検やなんだかんだで、今日から山梨アデプトプログラム。

 

今、特急あずさの中です。それがそれが、私が時間を勘違いしてしまい、1本乗り遅れてしまったのです。こんなこと初めてじゃー。

 

予定がいっぱいすぎるのって本当に危険。注意していたはずなのにやってもうた。。。

 

で、乗り換えの立川駅では慌てて荷物を置き忘れたり(すぐに気づいて取りに戻ったらありました)、慌てると二次災害、三次災害と広がってしまう。

 

ゆとりを持った日程を組むようにしているんだけど、次々と予定が入ってきてしまって、喜んでいいんだか。

 

とにかくなんとか山梨県南アルプス市へと向かっております。

 

国立アデプトもとてもすごかったです。一度キャンセルになって、また復活した方がアデプトを受けられまして。

 

これまでも色々な方をヒーリング、アクティベーション、アデプトしてきたけれど、ここまですごい人生だった人はいなかったんじゃないかという。

 

ご本人も2回ぐらい取材を受けたことがあったらしく、ライターの人に「凄すぎて信じてもらえないから」と却下されたそうです。

 

かつて2時間ドラマの黄金期、金字塔だった火曜サスペンスドラマでも却下されそうなぐらいのすごい話です。本人は「ぜひドラマにしてください」って言ってるので、どこかで何かにしたいなあ。

 

でね、よくいろんな人に「自分の人生はドラマになる」って言われることがあるんですよ。

 

そうすると、私は「だったら自分で書いてください」って返します。ここで本音を書くと、ああ勘違いしているなあと思うからです。

 

なぜかというと、例えば死にかけたとか、酷い目に遭ったとかいうだけではドラマや映画にはならないってことなんですよね。

 

そこで何を悟ったか、という部分が普通の人にはないんです。ただ「こんな目に遭ったからドラマになる」って思ってる。

 

誰もが一生に一度は名作を書けると言われています。それぐらい人生ってドラマチックなもの。何もなかったって言う人は一番やばいってことなんですが。人生を生きてこなかったということだから。

 

つまり誰もが何かすごい経験はしている。問題は、そこで「何を感じたか」「何を悟ったか」なんですね。

 

今回国立でアデプトを受けた方、確かに人生すごすぎる。こんな経験は普通の人ではあり得ない。でもそれだけではドラマにはならない。

 

今回のクライアントさんのすごいところは、人生を達観するところまで成長したからです。

 

ああ、この人の経験はクリント・イーストウッドや、フランソワ・トリュフォーの作品に近い、良い映画になる話だな、と思えました。

 

 

あと、本人のクセが強いところもすごくイイ。 良い人ぶってる人は主役にはならないので。

 

そもそも良い人なんて1人もいないんですよ。自分の悪い部分をよく知っていて、そこから逃げずに他人に嫌な思いをさせないように気を配れる人が最高だと思う。

 

このクライアントさんはちゃんと自分を知っていて、達観しているというところにすごく惹かれました。映画になるぞと。

 

こういう方がアデプトを受けて、素晴らしい人生のチャンスを掴んでくれたら本当にアデプトプログラムの意味が伝わるなあと思います。

 

アデプト=人生を達観する人で、そういう人には終わりがない、際限がない、どこまでも成功できるようになるから。

 

さて、今日からアデプトを受ける方はどんな方かな。30年付き合ってきた親友より、2日間のアデプトで知り合う方の方が付き合いが濃くなるので毎回出会に感動です。

 

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