色々な意味で10年かけた集大成が3月、4月にあり、どちらも卒業して次のステップへと進むことができました。ほっと安堵すると同時にちょっと気が抜けた。
さて、いよいよ自分がやりたいことを思いっきりやる時間ができた、、、と思いきや、怒涛のお仕事ラッシュとなり。8月3週目まで土日は全部埋まってしまったし、予定も8月までもう目一杯。
でもそんなこと言ってたらやりたいことできずにこの世とオサラバになってしまう。やるって決めないとね、ずるずる引きずられてしまうのよね。
ここまで生きてきて、本当に自分がやりたいことに挑戦したことあるのかなって。「自由になるために」というトレーニングはたくさんしてきたけど、自分がやりたいことに全集中したことはあるのか。
形而上学を学んで、じゃあそれをどう活かすのか。ずーっと「いつかやろう」と先送りしてきたことと向き合える時がやってきたわけです。
どこかで読んだんだけど、人間って死ぬ時に「もっと色々なことをやっておけばよかった」とめちゃくちゃ後悔するそうです。そうはなりたくないわけで。
ベンツに勤めていた時に「脚本家になりたい」って言って会社を辞めました。その時に、人事部が飛んできて「谷村さん、そんなに悩んでいるなら精神科を紹介しますけど」とか
周りの友達も「脚本家で食べていける人なんてほんの一握りだから、血迷ってはいけない」とか「食べていけなくなったらどうするの?」とか散々言われました。
でもわたしは「成功するかどうかじゃない。人生で一度もやりたいことにチャレンジしないまま死にたくない」と言ったんですよね。
で、ベンツを辞めて、離婚までして、映画製作会社のアルバイトになりました。高輪のマンションから恵比寿の安アパートに引っ越して。
その後、脚本家になるまでにはすごく大変だったけど、気持ちは全然平気だったなあ。毎朝9時に会社に行かなければいけないことが人生で一番しんどかったから、好きなことをするための苦労は全然OKだった。
でも脚本家になったら自由になれるのかと思いきや、テレビ局や映画制作会社の奴隷になるだけで、この世に自由はないのかと絶望したのよね。
そんな時に出会ったのがミステリースクールのアデプトプログラムね。はっきり言って、受けた時は全然ピンとこなかったわけ。お金損したかも、とまで思ったしね。
でもわたしをアデプトしてくれたガイドさんを見ていて「この人は本物だ」っていう直感があった。スピリチュアル系の人の独特のヤバさが全然なかった。
ここは自慢だけど、わたしは本物を見分ける力があるようです。センスがある。それまで一度も宗教やネットワークビジネスをやったこともなかったし。
それはね、やっぱり本場のオペラとか、世界最高峰のバレエとか、ヨーロッパで超一流の芸術をたくさん見てきたおかげだと思う。
脚本家になってからも、一流の監督さんたちと付き合って、本物の見分け方を教わってきた。だからセンスが磨かれてきた。そこは本当にありがたいと思っています。
芸術家って、お金儲けとか考えないからね。形而上学を使うセンスがないと、世界に通用するような活躍はできないから。
とはいえ、わたしは見分ける力はあったけど、自分でやりたいことを貫く強さ、知識がまだまだたりなかった。
だからアデプトプログラムから始まった形而上学で救われたんですよね。で、10年以上かけて、やっと最高峰の場所まで辿り着いたわけです。
となると、あとは何をやるか、なわけで。ずっと人生の準備ばかりしてきたけど、ここからが本番。本当にワクワクする。やりたいことが山のようにあるってことが嬉しい。
とか言いながら、今日は甲府サロンで3つセッション、明日は阿佐ヶ谷でセッション、明後日から長野で二日間セッション、、、なんとか時間をひねり出さなくちゃ。
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