両親のアデプトが終わって腑抜けている場合ではないのだが、腑抜けてます。父親がとっても○○だったこと、母親が抱えていたもの、かなりヘビーだったけど、両親が生きている間に分かって良かった。
つくづく思うのだけど、たとえ親でも、「その人の本当の姿」って見えているようで見えていない。私は形而上学を学んでから、人を見る目がものすごく変わった。
例えば、40年来の大親友(世間ではこういう言い方するよね)がいるのだけど、正直、今まで40年かけて見てきたのは、この人のどの部分だったんだろう、と思う。
一番の親友だと思っていたのに、彼女の本質は全く見えていなかったから。
両親もそうで、本当の姿に気づいてしまった。これはかなりキツイことでもあるけど、知っておいて良かった。そうじゃないと、両親が死んだら不必要に美化してしまっただろうと思う。
いいとか悪いとかじゃなくて、「本当のことを知りたい」だけ。本当の世界、本当の姿を知りたい。自分の思い込みじゃない、本当の世界を知ってから、この世を去りたい。
生まれてきたんだから、本当のことを知りたい。
その一念で形而上学を学んだんだ、と最近気づきました。両親の本当の姿を見て正直悲しかったけど、それは親に対してじゃなくて、親を美化して見てきた自分の無学や無明が悲しかった。
それに、両親の本当の姿を知っていたら、もっと良い関係を築けただろうと思う。今からでも遅くはないけど、できればもっと早く知りたかった。
それほど、「自分」という殻から出ることは難しい。全てこの世の中は「自分の都合で見えている」。自分の感情抜きにこの世を見つめることが難しい。
そして、自分にとって本当に必要な人が誰なのか、も分かってきます。今日は、中国出身の友人が瞑想会後に火鍋を作ってくれました。
三日間かけて煮込んできてくれた、日本ではなかなか食べられない火鍋。中国の地方によって火鍋も種類が全然違うらしく。日本では手に入らない貴重な香辛料を何十種類もつかって、今まで食べたことがないような美味しい味でした。
前の日に食材を運んできてくれて、今日も早くから準備してくれて。ここまで心を尽くしてくれる友人は本当に大事にしないといけないと感じました。去年の瞑想会でボルシチを作ってくれたまきちゃんも、素晴らしい友人です。
長く付き合っているからでも血が繋がっているからとかではなく、心が通い合う人を大切にして生きたいなあと思います。
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